さよなら名鉄600V線

http://mytown.asahi.com/gifu/news01.asp?kiji=4161
http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20050331/eve_____sya_____006.shtml
岐阜県内の名鉄岐阜市内線、揖斐線美濃町線の3路線*1
通称600V線が本日を持って全線廃止になります。
これら路線は、電車が走るのに必要な架線の電圧が直流600V*2なので
ファンの間では600V線などと呼ばれていました。
この600V線区間には、今回廃止される路線の他にかつては揖斐線の末端区間
谷汲線という区間もあったのですが、2001年の9月頃に廃止になりました。
今回の廃止で600V線と呼ばれた区間はすべて廃止となります。
特に路面電車区間の廃止については、環境問題の観点などから
路面電車を見直そうという動きもある中なので残念です。
交通渋滞や経営状況などを考えると、路面電車を残すよりは
廃止してしまった方が良かったのでしょう。残念ですけど、地元の意向には逆らえません。


さて、東日本に住む私にはこれらの路線は無縁といえば無縁なのですが、
実は中学生の頃から高校生の頃にかけて、この600V線区間を3回ほど訪れた事があるのです。
美濃町線には結局縁がありませんでしたが、岐阜市内線揖斐線谷汲線には乗りました。
きっかけは中学1年生の頃、鉄道雑誌の特集でこの600V線が取り上げられていた事でした。
そこに載っていた写真に写る風景はのどかで、何故かとても心惹かれるものを感じました。
最初に600V線に乗ったのはその直後の事。
丁度その頃は東海道・山陽新幹線に700系新幹線がデビューしたばかりで、
親父から700系に乗りに行かないかとの提案が。
これはいいチャンスとばかりに、名古屋まで700系に乗って、
かねてから行きたかったトヨタ博物館を見学したあと岐阜に移動して
600V線に乗ろうというプランで親父と一泊の旅行に出かける事になりました。
岐阜市内に着いたのは夕方に近い時間で、天候は雨でした。
宿泊先のホテルに荷物を置いた後、ホテルのすぐそばにあった新岐阜駅前の停留所から
親父と二人で岐阜市内線(路面電車)の連接車体の赤い電車*3に乗り込みました。
普通、路面電車の電停といえば安全島のように前後をガードされ
ホームにはひさしが付いてたりして、それらがなくてもせめてコンクリートで嵩上げするなど
「そこが路面電車乗り場である事が立体的物体によって理解できる」ようになっていると
思いますが、この岐阜市内線の場合はほぼ全ての電停において
それらの立体的な物体がありません。路面が電車の長さ分だけ
グリーンに塗装された場所があって、そこが電停なのです。
道路の他の部分との段差は一切ありません。
車が行きかう道路の中にただ立っているだけ、そんな状態でした。
いつ車に突っ込まれても不思議ではなさそうに見えましたが果たして…。
当然電車の床との段差は大きくなります。名鉄岐阜市内線の車両は
最近の路面電車のような超低床車両ではなく、昔ながらの高床式*4
電停の有様といいバリアフリーなんざドコ吹く風ってな雰囲気が何ともいえませんでした。
これが日本最大級の民鉄が運行する路面電車なのかと、いろんな意味でショックでした(笑)
今思えば、あのあたりも廃止の一因になっていたのかもしれません。
結局、最初の訪問時は時間の都合もあり、市内線、揖斐線(忠節〜黒野)、および
今回の廃止に先駆けて2001年に消えた揖斐線末端区間(黒野〜本揖斐)に乗っただけでしたが、
駅や車両、そして路線そのものが醸し出す独特な雰囲気にすっかりハマッてしまい、
またいつか来ようと決めたのでした。


その「またいつか」はその年の初夏、6月のよく晴れた日の事でした。
かつて名鉄犬山線犬山遊園新鵜沼間に存在した名物、「犬山橋」。
この橋はこの区間だけ道路と線路の併用橋になっており、本線用の大柄な電車が
まるで路面電車のごとく道路に敷かれた線路を走ることで全国的に有名でした。
今は道路の方が新しい橋に切り替わって、線路は従来の犬山橋を鉄道専用橋として走り、
かつてのユーモラスな光景は見られなくなってしまいましたが、
その犬山橋が併用橋であるうちにこの目で見ておきたいと思い、再び親父と名古屋へ。
そして犬山橋を見た後に新岐阜へ向かい、再び岐阜市内線に乗ることにしました。
今度は前回乗れなかった谷汲線に乗るために。
新岐阜駅前では運良く希少車のモ510型に乗ることができ、一路黒野へ。
前回は雨の降る肌寒い日でしたが、このときはもう夏の陽気。
昼間だったので乗客も多く、初めて乗ったときとはまた違う顔を市内線は見せてくれました。
大正生まれの古豪・モ510型の岐阜市内線も、昭和1ケタ生まれの谷汲線・モ750型も、
そして初夏の沿線風景もしっかり楽しむ事ができました。
しかし同時に、600V線区間の寿命がそう長くはなさそうな気配を何となく感じてはいました。
確かに人はそこそこ乗ってはいたけれど…何となくそんな気がしたのです。


3回目の訪問は高校に入ってから最初の夏休みでした。
前回の予感が当たったというか、その年の秋にも、
揖斐線末端区間谷汲線が廃止される事が決定していました。
8月初めのよく晴れた日、今度は中学時代の友人と岐阜を訪れました。
共に一度しか乗ったことがない路線でしたが、一度乗ったら情が移ったというか何と言うか(笑)
そんなわけで最後の夏の姿を見に行ったわけです。
廃止がアナウンスされるとその路線には鉄ヲタが集結するのが当たり前のようになっていますが、
幸いにもあの時はまだ廃止まで余裕があったせいか、はたまた平日だったせいか
ヲタうじゃうじゃなんて状態にはなっていませんでした。
モ750は非冷房だったけど、開け放った窓から吹き込んでくる風は涼しかったっけなぁ…。
そして揖斐線末端区間谷汲線に別れを告げてきたわけですが、
まさか岐阜市内線ともあれっきりでお別れになるとは…。
「なんだモ770か、ツマンネーの」なんて言ってないで
もう少し乗り味を楽しんでおけばよかったかも…。


この春休み中、最後に見に行こうかとも思ったけど、やめときました。
どうせ廃止直前の路線はヲタだらけでマトモに乗れたもんじゃないでしょうし、
路面電車のような鉄道は、そういう人が一気に集まっている
ある意味異常な状態ではなくて、地元の一般市民が足として利用しているような、
ごくありふれた日常の、普通に働いている姿こそが本来の姿だと思ったからです。
そういった意味では、あの肌寒い雨の日も、蒸し暑い夏の日も、
日常の市内線の「素」の姿を見られたのはよかったかな、という気もします。


いつかほとぼりが冷めたころにチャンスがあったら、
もう600V線がいない岐阜にもう一度訪れてみようかと思っています。
何はともあれ、さよなら名鉄600V線。良い思い出をありがとう。
600V線に長年携わってきた人たちも、車両たちもお疲れ様でした。

*1:厳密には美濃町線の支線・田神線もある

*2:通常の名鉄線は直流1500V

*3:モ770型?

*4:って言うのか?